「ルシフェル、ルシフェル」
「ああもう、おい、じゃれつくな」

 いくら引き剥がしても懲りずに体を寄せてくるイーノックに、大天使はほとほと参っていた。常に腰回りにしがみつかれていては満足に移動もままならない。いっそ引き摺ってやろうかとも思ったが、彼の体の重さが相手では動く気にもなれない。
 ルシフェルは赤い瞳を伏せて、腰に抱き着くイーノックを見やり、幾度目かの溜め息をついた。

「君は犬のようだな」

 丸い瞳が漆黒の大天使をきょとんと映す。

「犬、……私がか?」
「ああ。それも、てんで躾のなっていない犬だ」

 イーノックは機嫌を損ねたように少し眉を寄せ、抱き締める力をますます強めた。ぎりぎりと腰骨が締まる痛みにルシフェルは悶え苦しむ。息も絶え絶えになりながら、天使は慌てて腕の拘束から逃れようと身をよじった。

「こら、おい、この馬鹿犬」
「私が犬なら、君は猫だ」

 ぽつり、と小さく男が漏らした。
 頑丈な見た目には似合わない、消え入りそうなほど小さな声。
 締め付けが不意に緩まったのでルシフェルははたと気付き、再度男を見る。見れば今や彼は頑なに俯いたまま、かろうじて天使に貼りついていた。その表情を確認することはできない。

「ルシフェル」
「どうした」
「天使も、夢は見るのか」
「さあ、少なくとも私は見たことがないが」
「私は、見るんだ。君が六枚の翼で何処かへ飛び去ってしまう夢を」

 ぎゅう、と回された腕に再び力が籠もる。放すまいという明確な意思の籠もった抱擁だった。

「私が犬ならば、君は猫だ。羽根を持った猫だ」

 ルシフェルは小さく苦笑いをして、イーノックの金髪をそっと手で梳く。

「馬鹿だな、君は」
「どうせ私は馬鹿犬だ」
「馬鹿犬とは違って、私は躾のいい猫だからね」

 ふわり、と大きな翼が広げられる。
 翼は白く輝いて、2人の身体をまとめて包み込んだ。

「帰るべき場所がどこなのが、ちゃんと分かっているんだよ」




肩を寄せ合う

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