01.リフレイン


「本当にいいんだな」

 念を押すように、何度目かも分からない問いを尋ねる。

「いいんだ」

 穏やかな表情で彼は答えた。もう視線が返されることはない。
 天使は彼の背中を眺めた。がっしりとした、淋しそうな背中だ。
 いつもこんな背中をしていたのか。今までちっとも気付きはしなかった。
 口先だけで笑いながら、ルシフェルは足を踏みかえる。

「そうか」

 気は進まなかった。本当に、これっぽっちも進まなかった。

 しかし身体はルシフェルの意思に反して動き始める。四肢から操り糸が生えているようだった。それとも実際生えていたのかもしれない。大天使の腕は軽々と持ち上がった。ぴんと伸ばした指先が青年の背に触れる。触れた部分からはいつもの鼓動が伝わってきた。
 この男の肉体の中心で、今も心臓が暴れまわっている。そう考えるとどこか可笑しく思えてきて、ようやくルシフェルはへにゃりと笑った。情けない顔だった。
 だが彼がもうこちらを振り向くことがないのなら、そんな些細なことはどうでもいいじゃないか。

「ありがとう。さよなら」

 イーノックは言った。なんて陳腐で簡潔な台詞だろう。二人の関係を締めくくるには最高の言葉だ、と天使は皮肉を思った。口にも出してやろうとしたのだが、出てきたのは乾いた笑いだけだった。

「さよなら」

 言って、彼は青年を突き飛ばす。触れていた指先が儚く離れた。





 ルシフェルは落ちていく男を見た。最後まで男がこちらを振り向くことはなかった。あの淋しそうな背中を見つめながら、頭をいくつもの記憶がよぎる。

 それは地上での四百年のこと、そして、天界で彼と過ごした一週間のこと――。


→次へ

▲戻る